CBOのスケッチブック

素敵な絵をお届けします

文字カーソルの位置決め

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 こうしてiPadで文を打つ時に、既に打った文の途中に何文字か入れたいとか、何文字か消したいということがあります。いわゆる推敲というやつです。

 PCでは、マウスでカーソルを動かしたり、キーボードのカーソル移動の矢印キーで動かしたりします。iPadでは、指で触った部分の指の先に虫眼鏡が出ました。指の下の部分は見えないからです。指を動かすと虫眼鏡も追従します。楽しいです。

 ところが、先日iPadOSへアップデートして以来、この虫眼鏡が出なくなってしまい弱りました。狙いをつけて、えいやと触ったりして、あぁいけねぇまたずれた、とかやっていました。

 やっと最近やり方がわかったので、ドヤ顔で説明します。文中のカーソルを指で触り、ヌルッと下げるとカーソルが縦に伸びるのです。このまま指を動かすと、伸びたカーソルが指先に付いて動きます。

 一旦以上です。

カピバラとソクラテス

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 昔読んだ「ソクラテスの弁明」。よくは覚えていませんが、たしか若者に、自分たち(市民)に都合の悪い思想を広めているという罪で糾弾されて、死刑になったのだと思います。カピバラこと立花党首も、既得権者を敵に回して奮闘しています。参院埼玉補選。

 昔、組合役員をやったことがあるので、労働組合が既得権者だというのはわかります。組合員の給料からチェックオフされた組合費がザクザク入ってきます。上部団体に加盟費を払ってもまだ、役員さんは温泉会議やゴルフだのやり放題です。貴族です。

 近所の看板にもいくつか、1番の場所に例のホリエモンの名前入りのポスターの貼ってあるものがあって、わりと身近にN国党支持者がいるんだと、感慨深いです。

Neuro-Philosophy and the Healthy Mind

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 翻訳版は「脳はいかに意識をつくるのか」(白揚社)。ゲオルグ・ノルトフという人の2016年の作品です。哲学者の説に科学者(著者)が挑戦する、という感じでしょうか。脳の場所を表す語の他には、それ程難しい語は出てこないなと思って、油断するとさあ大変。わけがわからなくなった部分が沢山あります。あとでまた、読み返したいと思っています。

 MRIという装置に頭をつっこむと、脳の内部が見えるそうです。また、その最中に話しかけたり、映像を見せたりした時の脳の興奮する様子の見える仕掛けもあるそうです。これを使って、意識とか自我とかの心の問題を調べたそうです。その人の名前を呼ぶと、どこそこの部分が活動するのね、それじゃあこの部分はアイデンティティに関係する部分かもね、という具合に。

 第5章の最後に、感情についてPERSONとBODYとの問答が出てきます。PERSONは、ありありと感じる感情は自分だけの特別なものだから、自分の魂から来るものだと言います。それに対してBODYは、感情にも客観的な対象があるはずだと言います。

 ああこれでボクにもわかるように説明してもらえるのかなと喜んだら、途中から駅だの、町だの、トンネルだのという例え話になって、混乱してしまいました。よくわかりません。

 著者の関心は、心(魂)に相当する脳の部位を特定することにあるようです。どうやらここがこうなってバランスが崩れるとこうなる、ということが書いてあります。本の冒頭に登場するウエルニッケという人やブローカという人の名前が脳の中に残ったように、その部分は将来ノルトフ野と呼ばれるのでしょうか。

 図がいくつかあって、やっぱり何となくKindleは科学読み物には向かないなと思いました。この本では、図を見てもあまり理解の助けにならないので良いのですが。iBookにはこの本は無いし、紙の本よりもいくらか安かったので(それでも2000円ちょっと)Kindle版にしました。

The Heart Is a Lonely Hunter

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 翻訳版は「心は孤独な狩人」、カーソン・マッカラーズという人の1940年の作品です。 何かの時に「この商品を買った人はこんな商品も買っています」で見かけ、Kindle版が安かったので読んでみました。

 アメリカ南部のとある町で、1938年から1939年にかけての約一年のあいだに、登場人物たちの身の上に起きた出来事が書いてありました。主に不幸な出来事でした。

 物語の中で、登場人物たちが聾唖者のシンガーに心情を語る部分に、ロジャースの来談者中心療法、いわゆるカウンセリングを連想しました。

 ボクが、浦和の埼玉県警の建物の道を挟んで隣の場所で、産業カウンセラー養成講座を受けたのが2004年、その後無事試験に受かって産業カウンセラーになりました。でも、カウンセリングをしたことは一回もありません。何年か前に、一万円の年会費を払うのをやめたので、もう産業カウンセラーではありません。

 カウンセリングにはあまり効き目がないと思っています。むしろ、話をただ聞いてくれる(シンガーの場合は唇を読むのですが)だけのほうが、よっぽど良いでしょう。でも、普通の人には黙って聞くだけのことはできません。自分もこじらせたものを抱えた人はなおさらでしょう。黙って聞くシンガーは理想的なカウンセラーにも見えます。