ホーフパビリオン
今年の元日の夜の、ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサートのバレエは2つでした。ひとつめの最後の場面を描いてみました。曲は「ステファニー・ガボット」、場所はホーフパビリオンという建物だそうです。Procreate のパステル風のブラシで描いてみました。
番組の始めに、会場の前からの中継があって、ウィーンフィルの楽団員である日系のご兄弟が出ました。着物姿のNHKのアナウンサーが話を聞きます。少しすると、弟が演奏の準備のために画面から去りました。一人になった兄の、アナウンサーの問いの答えが
「わたしはモリマンですから…」
だと、一緒に見ていたせがれが言いました。
録画したやつの問題の場面をもう一度聞いたら、たしかに「モリマン」と聞こえなくはないので、笑いました。初笑い。
繰り返し再生して聞いたところ、どうやら
「わたしはおりばんですから…」
と言っているようでした。モリマンでないことは確かなようです。
前後の話から推理すると、ウィーンフィルの楽団員は多勢いて、兄は今年は出ないそうなので、「降り番」と言っているのではないかと思いました。
ビーバーちゃんの思い出
成人式に晴れ着を着られなかった人の話題をネットで見て、いろいろ考えているうちに、小学生の頃に見たアメリカ製TVドラマ「ビーバーちゃん」の、ある場面を思い出しました。
50年以上前のことです。「ビーバーちゃん」の他にも、「コンバット」とか「原潜シュービー号(シービュー号?)」とか「宇宙家族ロビンソン」とか「じゃじゃ馬億万長者」とか、色々よく見ました。
「ビーバーちゃん」というのは、小学生の男の子が中心のホームドラマでした。家に父親の書斎があって、でっかいアメ車があって、女優のようなお母さんがいてという、アメリカはすげーなと思いながら見ていました。
ビーバーちゃんには高校生くらいのお兄さんがいて、この兄にまつわるエビソードだったと思います。
ある日、兄がパーティーに出掛けることになりました。兄の友達が
「俺は普段着で行くよ。おまえもそうしろ」
と言うので、兄はその気になって、普段着のジャンパーを着て出掛けます。父親のアメ車で送ってもらって、パーティーの会場へ近づくと、他の人々はみんなちゃんとしていました。これでは行けない、とションボリしていると、父親がクルマのトランクからスーツやネクタイを出して、これを着て行きなさいと言いました。さっそく着替えてパーティーに出て、メデタシメデタシ…
その場にふさわしい服装というものがあるのだ、ということを知りました。
うちは男の子二人だったので助かりましたが、女の子だったら晴れ着を買ったのだろうなと思います。
岡本綺堂全集
Kindle本の「岡本綺堂全集」をDLしました。242作品が入って¥200。「半七捕物帳」が沢山入っています。これだけでも、Kindle Paperwhite の元を取れたと思います。入力してくだすった皆さんに感謝。
しかし…
作品の順番が、あいうえお順なのにガッカリ。どうしても、執筆した順に読みたいと思います。理由は何となくです。仕方がないので、一個一個、最後に出ている初出年月を調べて、これをキーに並べ替えをして、読む順番を決めようと思いました。
このくらいの手間はしょうがないですね。
Concepts5.0はだめかな
最近、Tom Haugomat という人の絵が気に入って、インスタグラムでフォローしています。フランスのイラストレーターのようです。
この人のインスタグラムでは、作品のわきにポスカ、三菱鉛筆の水性サインペンが写っているので、これを使って描いているということでしょう。ボクも、いっちょポスカを買って来て、同じような感じの絵を描いてみようかと思いました。でも、ちょっと面倒。どうせ買っても、使わずにしまっておくだけになりそうです。
やっぱり、カラー作品はiPadで描くのが簡単で良いなと思って、Concepts5.0の練習がてらに、こんな感じで描いてみました。
ArtStudioで、モレスキンのスケッチブックの見開きのページに合成しています。レイヤーを歪ませて、ページが開ききっていない感じに合わせました。紙に描いたように見えれば、おなぐさみ。
Concepts5.0は、あまり使えそうにありません。デザイナー向きなのかな?いろいろ不満な部分はありますが、画面をズームしてもペンの太さが追随しないのが致命的かな。Conceptsは活発にアップデートしているし、日本語化もしていて好感していましたが、ボクには向いていない感じです。
別のお絵かきアプリの Paper (Paper by FiftyThree または Paper53 )にもチャレンジしてみますか…
無秩序に拍車をかける武田邦彦教授
ボクは日本には二つの秩序、いわゆる欧米型の契約社会と日本型の親子の血縁社会があると思っています。そして、この二つの共存は無理なのに、無理して引っ張り合いをするから、悪い無秩序な部分が出来てしまうのだろうと思っています。
大相撲の件がまさにその部分だろうと思います。
大相撲が国技であり、神事に近いものでもあるとするならば、徹底的に純日本式にするべきだと思います。つまり、「規約」だの「理事会」だのという契約社会みたいな水臭いものは廃止して、親方衆に全てを任せるべきです。そうでないから、本音と建前が真っ向からぶつかる無秩序な騒動になっているのだと思います。
現場にも居た白鵬が、「日馬富士も貴ノ岩も二人とも、また土俵に上げてやりたい。ばんざーい」と言ったのだから、その通りにしてあげれば一番良いのにと思うのはボクだけでしょうか。
何と言っても、お相撲さんの中では白鵬が一番なんだから。親方衆はいがみ合っていないで、白鵬の望みが叶うようにもりたててあげるべきでした。
白鵬の言う「膿を出し切る」というのは、秩序を乱す反日本的なものを排除したいという意味もあるのだろうと思います。その意味では、警察に被害届けを出した貴乃花親方を徹底的に排除するべきだと思います。それが日本的なガバナンスです。
困ったことに、武田邦彦教授はこの二つの秩序が共存するとでも思っているらしく、白鵬を処罰せよという意味の事を言っています。一方では、日本的秩序の根本ともいえる教育勅語を礼賛しておきながらです。
日本的なガバナンスにも暴力は必要ですが、これは親が子に手を上げる時のように、制限された暴力になるはずです。欧米型のガバナンスでは、情け容赦のない暴力が発動されるのでしょう。聖書には、敵対する勢力を皆殺しにせよと、神が命じる場面が出てくるそうです。日本の神々も恐ろしくて、ボクたちを滅ぼすこともあるかもしれませんが、人間同士で殺し合いをするように命じる神様はいないと思います。
というわけで、統一するなら純日本式に統一するほうが良いと思います。
秩序について
ちょっと自分のアタマを整理するために絵柄を描いてみました。山本七平や岸田秀の書いたものを読んで知ったことが主で、自分のこれまでの狭い範囲で見聞きしたことも少し加味して整理しました。
オレンジ色の部分がボクたちの秩序だと思います。よく忠によく孝に、せいぜい拳拳服膺しましょう。蛇足ですが、親子といっても実の親子の関係だけでなく、親に相当するものと、子に相当するものとが関係するということです。これ以外の関係は成立しないようです。
青い部分はボクも想像するしかないのですが、いわゆる欧米の秩序なのでしょうね。
どっちが良いとか悪いとかは無いと思います。ボクたちの秩序にせよ、いわゆる欧米の秩序にせよ、その中にしっかり入っていればOKなのでしょう。しかし、ボクたちは不幸にも、オレンジ色の部分に安住できず、常に右上へ引っ張られています。
丸い線は、だいたいこの辺で生活しているのかなぁという感じです。主に教育勅語の世界で生活していますが、ごくまれに契約世界に触れる感じもします。そして問題は、こうした建前を知ったうえで、踏み外すことです。つまり、グレーの無秩序の部分です。
左上。親から離れた子どもは、法の縛りを平然と無視して暴力的に振る舞います。学校や会社のいじめなんかがここに入ると思います。
右下。自律した個人であるかのように振る舞う生意気な子どもを、親はけして許しません。学校の体罰や、大相撲の最近の話題がここに入ると思います。
どうでしょう。間違っていますか…?
ちなみにこの絵は、コンセプトで描きました。なかなか良いですよ。
スター・ウォーズと大相撲
全員がミレニアム・ファルコン号に乗れてしまうほどの少人数になった反乱軍部隊。なんとか脱出できたとしても、これだけの勢力でファーストオーダーに対抗できるのでしょうか。しかし、レイア将軍は
「大丈夫です。準備はできています」
と言いました。
同じ頃カウント・バイトの厩舎では、少年が立てかけてあるほうきを手に吸い寄せて、あたりを掃除しはじめました。
これは何を暗示しているのでしょうか。
スター・ウォーズはフォースの暗黒面との戦いを描いていると言ってよいでしょう。フォースの暗黒面とは、悪い感情に囚われてしまったジェダイです。ジェダイはフォースを持つ子どもを、訓練して養成するエリート騎士団です。ダース・ベーダーことアナキン・スカイウォーカーは、オビワンの弟子でしたが暗黒面に落ちました。カイロ・レンことベン・ソロは、ルークの指導中に脱落したようです。
ルークが最後のジェダイでしたが、空間を超越する術のあと消滅しました。
レイは不気味な洞窟で何を体験したのでしょう。鏡のような壁に映ったのは、自分自身の連続でした。
ストーム・トルーパーだったフィンもフォースを持つようです。ライト・セーバーを扱うことができました。整備兵の中華風戦士もフォースがあるやに見えます。
レイア将軍が見ているのは、銀河の普通の住人たちがフォースに目覚め始めた様子ではないでしょうか。ジェダイというエリート騎士団ではなく、人民が表舞台に立つ様子を。
今後の展開としては、レイを中心として銀河のマグナ・カルタとでも呼ぶべき秩序が制定され、フォースに目覚めた人々(人間型にしろチューバッカ風にしろ何にせよ)の基本的人権が確立されるのでしょう。自分自身が無限に続く、壁に映ったレイの姿は、個人主義を暗示しているように思いました。目覚めたままのフォースは中立であり、個人の自由意志を実現する為の力でもあるのでしょう。
しかし、フォースの暗黒面という脅威は無くなったわけではないので、いつでも戦争になるリスクは抱えています。法によって個人の自由は最大限に守りますが、暴力には暴力で対抗します。
住民を虐殺する悲惨な戦争を経て、こうした秩序に到達した西欧に対して、日本はだいぶ異なっているようです。最近の大相撲の騒動は、このことを考える良い例だと思います。
日本では西欧から輸入された法は軽んじられ、いまだに親子関係が秩序の基本なのだと思います。そうでなければ、大相撲そのものが成立しないでしょう。師匠と弟子が部屋で修行し、部屋(=家)の代表が勝負する場所が土俵です。手をついたり、土俵から出たら負け。
白鵬がモンゴル勢の一家を持ったのは自然なことです。そこでは法は無く、親が絶対であり、子に言うことをきかせるためには親は何をやっても良いことになっています。暴力という意識は無いのだと思います。
同じように、貴乃花親方は理事会という親の言うことをきかない子どもですから、何をされても文句は言えないでしょう。法に訴えても無理だと思います。
武田邦彦教授はこうした秩序に不満のようです。ボクも嫌ですが、しょうがないですね。